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3東久留米市(ひがしくるめし)は、東京都の多摩地域北部に位置する市。
1970年(昭和45年)東京都22番目の市として市制施行。人口(2023年10月1日)は約11万5千人。
都心から約25キロ離れた武蔵野台地の中央部にある。市西端の小平霊園(さいかち窪)を水源とする黒目川と、市中心部を水源とする落合川が市内の中心部を流れ、市の東端で合流する。土地全体は西から東へかけゆるく傾斜しており、この傾斜断面から湧水が豊富に湧き出す。そのため一部湧水は水道水の原水になっている。北は野火止用水(別名:伊豆殿堀)で清瀬市、埼玉県新座市と境を隔てる。ひばりが丘・東久留米・八幡・滝山・久留米西団地など大規模団地が多く、これらの地域では高齢化の進行が著しい地区が見られる。市全体では高齢化率は28.5%となっている(2020年4月1日住民基本台帳)。
2010年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は33.2%である。
東久留米市の縄文時代以前の遺跡は、1936年(昭和11年)自由学園の運動場拡張工事中に縄文時代中期の遺跡が発見されるなど、戦前期から発見されていたが、1950年代後半以降の高度経済成長期から、とりわけ1970年代後半の急速な都市化の進展に伴う発掘調査の結果、多くの遺跡が確認され、縄文時代以前の東久留米の様子が明らかになってきた[1]
東久留米市が位置している武蔵野台地は、厚い関東ローム層に覆われていて水が乏しい。しかし台地中に勾配が急に緩やかになる場所があり、急勾配を流れてきた地中を流れる地下水の流れが、勾配の変化によって堰き止められる形となるため、湧水群が成立することになる。先史時代の東久留米において、人々が住むようになったのはそのような湧水群の周辺であった[2]。
東久留米市の遺跡の特徴として、旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡が多く、弥生時代以降の遺跡が少ないという特徴がある、これは湧水群という水に恵まれた環境に加えて、武蔵野台地上に落葉広葉樹林、常緑広葉樹林が広がり、ドングリ、トチ、クルミや、それらを食べているシカやイノシシなどの生物資源に恵まれ、縄文時代以前の東久留米は、採取狩猟生活に適した環境であったことによる[3]。
東久留米市内で確認されている中で最古の旧石器時代の遺跡は、約3万年前の下里本邑遺跡と神明山遺跡である、約1万8000年前になると10以上の遺跡が確認されており、また大規模な集落が営まれていたことが確認されている。東久留米市近隣でも新座市や朝霞市にも旧石器時代の遺跡は分布しているものの、東久留米市の遺跡数が最も多い。これは黒目川の最上流部にあたる東久留米は湧水量が豊富で、居住に適していたためと考えられている。しかし旧石器時代の最末期は遺跡が激減していることが確認されている[4]。
縄文時代草創期、前時代に続いて遺跡数が少ない状態が続いていたが、早期以降、前期、中期と遺跡数が増加していく。特に関東地方から中部地方にかけて遺跡数が激増した縄文時代中期、遺跡数は激増し、遺跡の規模も大型化する。しかし気候の寒冷化による生活環境の悪化と、中期の急激な人口増に伴う人口圧の結果、後期から晩期にかけて著しい人口減少が発生して遺跡数も激減する [5]。特に縄文時代晩期の遺物は東久留米市内ではほとんど確認されていない[6]。
弥生時代に入っても、東久留米市内では遺跡の分布が極めて薄く、しかも規模も小さい。これは湧水群が水場である武蔵野台地奥部の東久留米は、水田に適した低湿地が少なかったためであると考えられている[7]。そして古墳時代の遺跡はこれまで東久留米市内では確認されていない[8]。下里本邑遺跡では奈良時代の可能性がある竪穴建物跡が検出されていて、向山遺跡からは平安時代のものと考えられる竪穴建物跡が確認されている[9]。そして新山遺跡は平安時代末期から鎌倉時代のものと見られている[10]。
東久留米市内の中世期で、注目されるのが板碑である。東久留米市内では破片を含めて107基の板碑が確認されており、最古のものは1279年(弘安9年)のものである。板碑は移動させることが容易で、最初に建てられた場所と現状の建立地が異なっている可能性もあるが、中世期における東久留米の状況を示す貴重な資料である[11]。
1444年(文安元年)、曹洞宗の寺院、常牧院が創建されたと伝えられている。開基は八王子城主の安祝公、開山は崇芝性岱和尚とされている。常牧院は徳川家康の江戸入部以後の1590年(天正18年)、家康から朱印状が与えられている[12]。
江戸時代には尾張徳川家の鷹場があり延命寺に前沢御殿または楊柳沢御殿と称する鷹狩の宿所の御殿が作られた[13]。
「くるめ」と読み書く地名となった由来や説はいくつかある[17]。
一般的には市内の北部を流れる現在の「黒目川」の旧称である「久留米川」から付いたといわれている。
市制施行時、既に福岡県久留米市が存在したため、行政的な混同を避け、また駅名の「東久留米」が住民に親しまれていたため「東久留米市」とした[20]。
引用元
武蔵野台地のほぼ中央に位置する東久留米市は、西から東にゆるやかに傾斜した地形です。市の中央を黒目川や落合川が流れ、地下水も豊富。市内には数ヵ所に湧き水があり、毎日約10万tの水が湧き出ています。この恵まれた地形もあって、東京都内の中では比較的農業が盛んです。
農業産出額は約8億5,000万円。そのうち7割以上を野菜が占めているのが特徴で、ホウレンソウ、トマト、コマツナ、エダマメなどが主な農産物です。また、果樹栽培も見られ、日本なしやキウイフルーツ、ブルーベリーなどが生産され、花卉栽培も営まれています。さらに東久留米市内には直売所が多く存在しており、地産地消の取り組みにも積極的。体験型農園も提供されており、そこでは農業のプロによる指導の下、野菜栽培を楽しめます。なお、東久留米市は海に面していないため、水産業はほとんど見られません。
東久留米市では江戸時代、大規模な開墾が進められ、それにより水田や農村が形成されました。その後、近代になると軍事施設が市内に設けられ、軍需産業が発展。さらに昭和30年代初頭の高度経済成長期にも相まって、近郊住宅地が相次いで建設されます。それにより人口が急増し、ベッドタウン化が進みました。
製造品出荷額は約1,500億円で、内訳を見ると食料品製造が最も多く、次に印刷関連業、金属製品製造業などが続きます。市内の北西部に工業用地が広がり、野火止地区や柳窪地区には大型の飲料工場やパン工場が立地。市内産業に大きく寄与してきました。
また、近年では「東久留米ブランド」の認定制度を設置。市内の優れた食品や技術、工芸など数十品が「きらりと輝く東久留米ブランド」に選ばれています。
1956年(昭和31年)に町制が施行されて、久留米町が誕生。その後、1970年(昭和45年)には市制が敷かれ東久留米市が生まれました。都市化が進む中でも豊かな自然を守って、湧き水と清流の保全に市民と行政が一体となって取り組んでいるのが特徴です。
市の北東部を西武池袋線が走りますが、市内にある鉄道駅は東久留米駅のみ。駅周辺には商業施設があり、中規模のショッピングモールが存在します。商店街も複数あり、そこには様々な個人商店が軒を連ねてきました。また郊外の幹線道路沿いにもロードサイド店舗が点在。特に埼玉県道4号線沿いは店舗が多く、商業集積が見られます。県道南側には長さ約300mの「まえさわ小町商店会」という商店街があり、近隣住民に愛用されています。
多摩地域東部に位置する「東久留米市」(ひがしくるめし)は、東京のなかでも自然が多く残る地域。市域を流れる黒目川・落合川・立野川の源流は、いずれも市内で湧き出ています。都内で最も湧水の多い地域として知られ、アユやホトケドジョウなどの水生生物も豊富です。
また、遺跡や史跡も多く立地しており、なかでも東久留米市本町にある「多聞寺」は市を代表する観光スポット。創建時期は定かではありませんが、南北朝時代や鎌倉時代に建てられたと考えられています。創建時の本堂は火事で焼失してしまったため、現在の本堂は1975年(昭和50年)に再建されたコンクリート製。山門は総けやき造りの四脚門で、精細な彫刻は必見です。また多聞寺は、伝統芸能「南沢獅子舞」が演じられることでも有名。例年10月15日の夜に五穀豊穣と悪疫退散を祈念して執り行われます。
市域北東部にある「スパジアムジャポン」は、東久留米市の人気リラクゼーションスポット。関東地方最大級を誇る温泉・岩盤浴施設で、美肌の湯として知られる炭酸水素塩泉などの泉質を楽しめます。露天風呂や泡の壺湯・電気湯・薬膳湯・シルク風呂・高濃度炭酸泉の内湯などを備え、お風呂の種類も豊富。また、100床もの岩盤浴があり、これは関東エリア最大級の床数です。さらにテントサウナを備えており、屋外での岩盤浴ができるのも特徴です。
大根、ほうれん草、シクラメン、柳久保小麦加工品、釣り用品、清涼飲料/梅ワイン
引用元
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